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幸田 文 こうだ・あや(1904年9月1日 – 1990年10月31日)
随筆家・小説家。作家の幸田露伴の次女として東京府南葛飾郡寺島村(東京都墨田区東向島)に生まれる。女子学院卒業。1928年、清酒問屋の三橋幾之助と結婚するも、結婚から8年後には家業が傾き廃業。1947年に父露伴が死去すると、父の思い出や看取りについて書いた『雑記』『終焉』『父』などを発表。断筆宣言の後に執筆した長編小説『流れる』で新潮社文学賞、日本芸術院賞を受賞するなど独自の執筆活動を展開する。1956年、『黒い裾』読売文学賞受賞。1976年に日本芸術院会員に選出されている。
おすすめ作品ランキング
長い記事なので、先におすすめランキングを紹介します!
- 1位:おとうと
- 2位:流れる
- 3位:さざなみの日記
作品年表リスト
父・こんなこと(1949年~1950年)
父・露伴の死にゆく姿と、続く葬儀の模様を綴り、刻々の死を真正面から見つめた者の心の記録とした『父―その死―』。掃除のあとで、念を入れるために唱えなければならない呪文「あとみよそわか」のことなど、露伴父子の日常の機微を伝えるエピソード七話からなる『こんなこと』。誠実に生き、誠実に父を愛し、誠実に反抗した娘が、偉大な父をしのんで書き上げた、清々しいまでの記録文学。
みそっかす(1951年)
黒い裾(1955年)
千代は喪服を著(き)るごとに美しさが冴えた。……「葬式の時だけ男と女が出会う、これも日本の女の一時代を語るものと云うのだろうか」――16歳から中年に到る主人公・千代の半生を、喪服に託し哀感を込めて綴る「黒い裾」。向嶋蝸牛庵と周りに住む人々を、明るく生き生きと弾みのある筆致で描き出し、端然とした人間の営みを伝える「糞土の墻」ほか、「勲章」「姦声」「雛」など、人生の機微を清新な文体で描く、幸田文学の味わい深い佳品8篇を収録した第一創作集。
幸田文の『黒い裾』を読んだんですが、文章が上手すぎる。あちらこちらにハッとする表現や言い回しがちりばめられていて、それでいていやらしくもないし、押しつけがましくもない。名文を読んで、こんな文章書けたらなと憧れることはあるけど、ここまで来ると真似できないことがわかってため息つくしか pic.twitter.com/DsaiN9h3o1
— 右手@ものかき (@migite1924) 2020年4月14日
「女も二十五を越すと、内面的な美や個性的な光はふえるけれど、肩さきや後ろつきの花やかさは薄れる。鏡に映らない部分から老は忍びこむし、衰えは気のつかない隅から拡がりはじめる。そんなときに黒はいちばんよく似合う着物なのだ。千代は喪服を著るごとに美しさが冴えた」
— 右手@ものかき (@migite1924) 2020年4月14日
さざなみの日記(1956年)
平凡にひそやかに生きる女たちの心のさざ波……「明るく晴れている海だって始終さざ波はあるもの、それだから海はきらきらと光っている。」――手習いの師匠を営む母と年頃の娘、そのひっそりと平凡な女所帯の哀歓を、洗練された東京言葉の文体で、ユーモアをまじえて描きあげた小説集。明治の文豪・幸田露伴の娘として、父の最晩年の日常を綴った文章で世に出た著者が、一旦の断筆宣言ののち、父の思い出から離れて、初めて本格的に取り組んだ記念碑的作品。
ちぎれ雲(1956年)
「おれが死んだら死んだとだけ思え、念仏一遍それで終る」死の惨さ厳しさに徹し、言葉を押さえて話す病床の父と露伴。16歳の折りに炊事一切をやれと命じた厳しい躾の露伴を初めて書いた、処女作品「雑記」、その死をみとった「終焉」、その他「旅をおもう」「父の七回忌に」「紙」等22篇。娘の眼で明治の文豪露伴を回想した著者最初期の随筆集。
包む(1956年)
流れる(1956年)
梨花は寮母、掃除婦、犬屋の女中まで経験してきた四十すぎの未亡人だが、教養もあり、気性もしっかりしている。没落しかかった芸者置屋に女中として住みこんだ彼女は、花柳界の風習や芸者たちの生態を台所の裏側からこまかく観察し、そこに起る事件に驚きの目を見張る……。
華やかな生活の裏に流れる哀しさやはかなさ、浮き沈みの激しさを、繊細な感覚でとらえ、詩情豊かに描く。
おとうと(1956年)
高名な作家で、自分の仕事に没頭している父、悪意はないが冷たい継母、夫婦仲もよくはなく、経済状態もよくない。そんな家庭の中で十七歳のげんは三つ違いの弟に、母親のようないたわりをしめしているが、弟はまもなくくずれた毎日をおくるようになり、結核にかかってしまう。
事実をふまえて、不良少年とよばれ若くして亡くなった弟への深い愛惜の情をこめた看病と終焉の記録。
<流れる>おぼえがき(1957年)
笛(1957年)
身近にあるすきま(1957年)
猿のこしかけ(1958年)
番茶菓子(1958年)
《時間は一度勝負だ。過ぎた時間は書き直せない》と覚悟した著者が、日常の暮らしでの人と人との出会いと記憶の断片を、掌篇小説の如き味わいの小品12章に綴る。「花の小品」「きももの四季」「新年三題」「一日一題」他。作家幸田文の凛とした資質のきらめく珠玉の名文。
駅(1959年)
「男と女のなかには距離がひそむ。親子のあいだにも寸法は残されている。駅も距離だし、国も距離だし、ことばも距離だし、風も著物も距離だ」(「駅」「さとがえり」)男と女の縁、夫婦、親と子、幼な友達、嫁と姑。ささやかな日常の中に人生の機微を掬い取り、鮮やかに命を吹き込む幸田文の強靱な感性。連作的随筆「駅」の12章と小説「栗いくつ」を収録。
草の花(1959年)
北愁(1972年)
幼くして母を亡くし、継母と文筆家の父に育てられた才気煥発な娘あそぎ。そのまっすぐな気性は時に愛され、時に人を傷つける。婚家の没落、夫婦の不和、夫の病――著者・幸田文自身を彷彿とさせる女性の波乱の半生を、彼女を取り巻く人々とのつながりの中でこまやかに描きあげた長編小説。
闘(1973年)
東京近郊の結核病棟の四季を通して、病苦にふみあらされた人間の<生>と<死>の凄絶なせめぎあいを、繊細な眼と鋭い感性で見据え、美しい日本語で描いた長編小説—闘病歴10年、病院の大将といわれる38歳の男性、治っても社会復帰できないと考えてしまう少年少女、語学の研究にはげむ青年などの入院患者と、<生>への奉仕者である医師、看護婦たちとの人間関係を見事に捉える。
崩れ(1991年)
緑豊かな自然のなかで山が崩れ、河が荒れる。崩れ
その風景はなんと切なく胸に迫るものか。生あるものの哀しみを見つめる最後の長篇。
木(1992年)
「樹木に逢い、樹木から感動をもらいたいと願って」
北は北海道、南は屋久島まで、歴訪した木々との交流の記。
木の運命、木の生命に限りない思いを馳せる著者の眼は、木を激しく見つめ、その本質のなかに人間の業、生死の究極のかたちまでを見る。
倒木の上に新芽が育つえぞ松の更新、父とともに無言で魅入った藤、全十五篇が鍛え抜かれた日本語で綴られる。
生命の根源に迫るエッセイ。
台所のおと(1992年)
女はそれぞれ音をもってるけど、いいか、角(かど)だつな。さわやかでおとなしいのがおまえの音だ。料理人の佐吉は病床で聞く妻の庖丁の音が微妙に変わったことに気付く……音に絡み合う女と男の心の綾を小気味よく描く表題作。他、『雪もち』『食欲』『祝辞』など10編。五感を鋭く研ぎ澄ませた感性が紡ぎ出す幸田文の世界。
季節のかたみ(1993年)
今朝の雲はもう居ません。その代り風が訪れてくれます。季節の移り変りを見るのが、私は好きです。なにより有り難いのは前向きの心でいられることでしょうか。時の移ろいを瑞々しい五感がキリリと掬いとった名篇。「くくる」「壁つち」「台所育ち」……失った暮しや言葉の情感が名残り惜しく懐しく心にしみる1冊。
きもの(1993年)
明治時代の終りに東京の下町に生れたるつ子は、あくまできものの着心地にこだわる利かん気の少女。よき相談役の祖母に助けられ、たしなみや人付き合いの心得といった暮らしの中のきまりを、“着る”ということから学んでゆく。現実的で生活に即した祖母の知恵は、関東大震災に遭っていよいよ重みを増す。大正期の女の半生をきものに寄せて描いた自伝的作品。著者の死後出版された、最後の長編小説。
雀の手帖(1993年)
〈おでん、すきやき〉が〈筍にそら豆〉になる一月から五月までの百日間、〈ちゅんちゅん、ぺちゃくちゃと自分勝手なおしゃべり〉を毎日書き留めた手帖。冬枯れの光景に、悲惨な事件を起こしてしまった女性の心理を思いやり、陽気が温かくなると、しょっちゅうまぜずしを作って父・露伴を閉口させたかつての自分を懐かしむ。日常の何気なさの中に、“暮らし”の実感を伝える随想集。
ちくま日本文学 005 幸田文(1993年4月)
月の塵(1994年)
動物のぞき(1994年)
幸田文 対話(1997年)
小説『流れる』、随筆『崩れ』などの名文で知られる作家幸田文は、歯切れのよい語り口と巧みな話術による対話の名手としても知られた。幸田文と各界の著名人との対談を、二冊にまとめる。上巻では、父である文豪露伴の独自の生活の流儀(釣り、将棋、酒)と、生活全般にわたる「幸田家の文化」がユーモラスかつ闊達に語られる。新収録の対談を増補した。
回転どあ・東京と大阪と(2001年)
「いったい涼しげというのは、すっきりと線が立っている趣をいい、すっきりとは或鋭さを含んでいるとおもう。……。げというのは力量である。」(「回転どあ」あじさい)父・幸田露伴の思い出を綴った文章で世に出た著者は、東京下町向島に生まれ育った。気性の激しさ、繊細鋭利な感性、強靱な文体で身辺を語り、日々の発見を精妙に記す。庶民生活を清新に描いた単行本未収録エッセイ101篇。
ふるさと隅田川(2001年)
台所のおと みそっかす(2003年6月)
父露伴の没後、文筆の道に進んだ幸田文。端正で勢いのある文章には定評がある。味わい深い小説「台所のおと」「祝辞」、生い立ちを語る「みそっかす」、露伴の臨終を描いて圧巻の「終焉」など、孫娘の編んだ作品集。
幸田文 しつけ帖(2009年2月)
本書は幸田文が遺した随筆から、三つのテーマにわけて選び抜いた選集の第1冊目。文庫未収録の随筆を多数収録した、幸田文のエッセンスというべき文章が収録されています。
幸田文 台所帖(2009年3月)
台所が、教室だった。
ささやかな煮炊きのくり返しが、私の心をみがいてくれた–。大切な心を取り戻すために。
幸田文の衣食住三部作の第2冊。
幸田文 きもの帖(2009年4月)
「きものは心意気で着るものです」
一生和服で通した幸田文の、ふだん着の、きもの入門。
幸田文 季節の手帖(2010年2月)
幸田文 旅の手帖(2010年3月)
幸田文 どうぶつ帖(2010年4月)
精選女性随筆集 第一巻 幸田文(2012年2月)
父・露伴に家事を仕込まれた娘時代からその父を看取るまで、身近な人間観察や、自然の持つ力への畏敬など。随筆の真髄を知る1冊。